イスラエル海軍出身!「クソ野郎」からの転身を果たしたWeWork創業者アダム・ニューマン(前編)

2018年11月10日

先日ソフトバンクグループの決算資料を見ていて、「WeWork」の存在に目を惹かれました。

Shutterstock

WeWorkはソフトバンク・ビジョン・ファンドの中でも代表的な投資先

WeWorkはソフトバンク・ビジョン・ファンドの投資先としては代表的な扱いとなっており、 利用する「メンバー」の数も前年比2倍以上の成長を続けています。

しかし外側から見た限りでは、WeWorkと普通のコワーキングスペースの違いがよくわからないと感じている人は少なくないのではないでしょうか。

働き方が多様化する現在においてシェアオフィスやコワーキングスペースが増えているのは理解できますが、その中でWeWorkだけがなぜ特別とされているのでしょうか。


今回のシリーズでは、WeWorkを作ったアダム・ニューマンとはどんな人物なのかについて迫ることで、「WeWork」の何が特別なのかについて考えていきたいと思います。


WeWork創業者アダム・ニューマンはイスラエルの「キブツ」で育った

アダム・ニューマンは1979年、イスラエルのテルアビブで生まれました。

彼の祖母はポーランドで生まれましたが、生後6ヶ月のときに通りすがりの人から反ユダヤ的な言葉を投げかけられ、危険を感じた父親(ニューマンの曽祖父)が家族で(現在の)イスラエルに移住したのです。

曽祖父は一度ポーランドに戻って兄弟たちもイスラエルに来るよう説得しましたが、残念ながら誰も応じず、ホロコーストで全員殺されてしまったそうです。

ニューマンの両親はともに医者でしたが、彼が小さい頃に離婚し、母親に育てられます。

育ったのは「キブツ」と言われる集落で、ニューマン本人が言うには「失敗した社会実験」。そこでは大人たちは全員、同じ金額の給料を受け取っていました。


ニューマンは大人になると、イスラエルの軍隊でキャリアをスタートします。

ところが軍隊は肌に合わなかったのか5年ほどで退役。

そして2001年、妹のアディ・ニューマンのモデル業を手伝うためにアメリカにわたります。

2002年には23歳になろうかというタイミングでニューヨーク市立大学バルーク校に入学。(バルーク校は学生の80%が移民)

小さい頃からアメリカのテレビ番組を観て育ったニューマンは、アメリカで何かデカイことをしてお金持ちになってやろう、と意気込んでいたそうです。


アメリカに渡って2年間は遊び呆け、その後も起業して数年間は失敗続きだった

ただ、最初の2年間はひどいもので、ほとんど勉強せずに毎晩パーティに参加し、町中の女の子に声をかけるという生活をしていました。

この続きを読むには

ここから先をお読みいただくには、
Stockclipサポート会員にご登録いただく必要があります。

30日間無料キャンペーン実施中!


無料で続きを読む
または
ログイン
この記事に関するキーワード
経営者列伝 WeWork