世界最大のヘッジファンド「ブリッジウォーター」創業者レイ・ダリオの半生(中編)

2018年11月18日

前編の続き)

高校生まで勉強にやる気がわかなかったレイ・ダリオですが、大学に進学してからは大好きな金融を専攻することでパーフェクトな成績を残しました。

卒業後は順調にハーバード・ビジネス・スクールに進学したものの、2年生になったころに第一次オイルショック(1973年)が発生。

コモディティ価格は上昇し、株式市場は1930年以来の大暴落となりました。

オイルショックを引き金に「コモディティ取引」の需要が高まる

ダリオは予見することができませんでしたが、大暴落の理由は明らかだと言います。

1960年代以来、アメリカ政府は金融緩和に積極的で、負債(借金)の総量は増え続けていました。

ところが、金とドルの兌換制が終わったことによりドルの価値は下がってしまい、資金の貸し手は価値が大きく下がったドルで返済を受けることになります。

こういったインフレ環境ではより多くの借金を借りて、たくさんお金を使う方がおトクです。

そして、1973年に中央銀行が突如として金融政策の引き締めを発表したのです。

行き過ぎたインフレを止めるための政策でしたが、これによって株式市場は暴落し、世界恐慌以来の不況となりました。

こうなると株式投資は儲からないということで、市場は徐々に「コモディティ」に注目するようになります。

前編で触れた通り、ダリオは大学時代からコモディティに興味を持って研究していました。

しかもハーバード・ビジネス・スクールのMBAを持っているわけですから、金融業界では文字通り引っ張りだこになります。

ダリオが卒業後に選んだのは「ドミニク・アンド・ドミニク」という中規模の100年の歴史を誇るブローカレージ・ファームで、コモディティ分野のディレクターとして年間2.5万ドルの年俸を払いました。

当時の1ドルは現在の5.5ドルに相当しますから、初年度から日本円にして1,500万円以上の年俸を受け取っていたことになります。

当時のハーバード・ビジネス・スクールの卒業生の中でもトップレベルに高い給与水準だったそうです。


金融ブローカーのコモディティ部門で下積み時代を送る

ダリオはドミニク・アンド・ドミニクでコモディティ部門の立ち上げをシニアメンバーとともに任されます。

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