シリコンバレーのさらに奥!無線技術で土壌をつくったスタンフォード大とヒューレットパッカードの始まり

2019年01月06日

今回はシリコンバレーの歴史をさらに遡り、「谷」の土壌となったスタンフォード大学とヒューレットパッカードの発祥についてまとめてみたいと思います。

「シリコンバレー」の始まりはショックレー研究所からですが、その前からすでに「ラジオバレー」とも言うべき土壌が存在しました。


スタンフォード大の正式名称は「リーランド・スタンフォード・ジュニア大学」

スタンフォード大学は、1885年にカリフォルニア上院議員リーランド・スタンフォードとその妻のジェーンによって設立されました。

スタンフォード氏は1824年にニューヨーク州で生まれました。

祖先は17世紀にアメリカに渡ったということで、アメリカに入植したヨーロッパ人の中ではかなり早い方です。

1841年からカゼノビアカレッジで法律について学んだ後、1845年よりオールバニ(同じくニューヨーク州)の法律事務所で働き始めます。

法律家として頭角を現したスタンフォード氏は、1850年にはホイッグ党の弁護士に選ばれ、オールバニの商人の娘、ジェーンと結婚。

ところが1852年、火事で全ての財産を失ってしまったスタンフォード氏は、兄弟たちに続いてカリフォルニアのゴールド・ラッシュに出向きます。

スタンフォード氏はカリフォルニアで採掘者向けの雑貨店をはじめたほか、地域の治安判事として活躍。

1855年には一度、妻のいるオールバニに戻っていますが、西海岸での大冒険を経験してしまった後ではあまりに退屈に感じ、カリフォルニア州サクラメントに移り住みます。

1859年にはカリフォルニア州知事になったほか、商人としても有数の人物となっており、1861年にはセントラル・パシフィック鉄道に投資、社長にも就任しています。

1870年にパシフィック・ユニオン・エクスプレスとウェルズ・ファーゴが合併して以降は、ウェルズ・ファーゴの取締役も務めていたそうです。


1868年には一人息子であるリーランド・ジュニアが生まれますが、1884年、ヨーロッパ旅行の際に腸チフスにかかり、15歳にして死亡。

大事な一人息子を失ったスタンフォード夫妻は悲嘆に暮れますが、「カリフォルニア州に生まれる子供達を自分の子供と思おう」と考え直し、私財を投じて大学設立を決意します。

そのようにして完成したのがスタンフォード大学(正式名称:リーランド・スタンフォード・ジュニア大学)です。

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