【アメリカ家庭用ゲームの歴史②】ドンキーコングで一発逆転した任天堂がゲーム市場を復活させるまで

2018年12月12日

前回はアメリカでテレビゲームが誕生して、ゲーム市場が崩壊するところまでまとめました。

今回は任天堂がアメリカに進出してから、アメリカゲーム市場で圧倒的な王者になるまでです。

『レーダースコープ』の在庫を大量に抱えるも、『ドンキーコング』に変えたところ1981年で一番の大ヒット作に

ゲーム市場の崩壊から少し遡ること1980年に当時社長の娘婿である荒川氏がニンテンドー・オブ・アメリカを開設します。

ニンテンドーは日本の任天堂からアーケードゲームを仕入れて販売する事業を始めました。

『スペースインベーダー』の亜流ゲームである『スペースフィーバー』というアーケードゲームを任天堂から仕入れて販売したところ、人気があったため順調に売れました。

しかし、次の『スペースランチャー』は迫力にかけ、『スペースファイアバード』も期待を裏切る出来と不作が続きます。

アタリの『ポン』や『パックマン』といったメガ級のヒットが欲しいなかでついに『レーダースコープ』が登場します。

『レーダースコープ』は宇宙をテーマのシューティングとありふれた内容に見えて、鮮明なグラフィックスと擬似3D的視点という新しい特徴がありました。

シアトルでのテストマーケティングで好意的な反応を受けて、確信した荒川氏は残りの資源の大半をつぎ込み3,000台ほど発注しました。

まだ筐体が全部届いていない数週間後に再度シアトル地方を訪れたところ、『レーダースコープ』で遊んでいる人は1人もいませんでした。

初回は楽しめるが繰り返しやる価値はないと判断されており、搬入先もほとんど興味がないということを3,000台入荷した頃に知ります。

日本に送り返して新しいゲームを輸入するにはコストがかかり過ぎるため、『レーダースコープ』で動く新しいゲームの開発を日本にお願いします。

(引用:Wikipedia

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