ざっくりわかる金融市場の歴史 〜イタリア商人から大航海時代まで〜(前編)

ざっくりわかる金融市場の歴史 〜イタリア商人から大航海時代まで〜(前編)

2019年06月01日 07:00

「金融市場の中心」といえば、ニューヨークの「ウォール街」です。

ロンドンや香港、東京や上海なども金融センターとして知られていますが、証券取引所のサイズには大きな開きがあります。

ニューヨーク証券取引所に上場する企業の時価総額は、合計で2,554兆円。2番目に大きいNasdaq(同じくアメリカ)に対して2倍、東京証券取引所に対しては4倍もの開きがあります。

今ではアメリカが圧倒的なポジションを占める金融市場ですが、古くはイタリアのヴェネツィアが、ヨーロッパ全体における金融の中心でした。

そこからベルギーのブリュージュ、同じくベルギーのアントウェルペン、オランダのアムステルダム、そしてロンドン、ニューヨークと移り変わってきたのです。この変遷には、それぞれ歴史的な背景があることをご存知でしょうか。

今回のエントリでは、金融市場の中心がイタリアから始まってニューヨークに至るまでの変遷について、歴史的な流れをご紹介したいと思います。

農耕による「余剰」が生み出した「市場経済」

何百万年もの間、人類は「狩猟採集」を生きる糧にしてきました。地域にもよりますが、「農耕」が行われるようになったのは、今から1万年ほど前だと言われています。

狩猟採集で生きていた頃は、必要な食べ物を手に入れるだけでしたが、農耕となるとそうはいきません。不作の年もありますから、将来のために食糧を蓄えておく必要が出てきたのです。

このようにして、人類に初めて「余剰」が生まれました。

「余剰」が生まれると、人間は余剰を「管理」する人たちと「生産」する人たちに分かれていきました。管理する人たちは、生み出された「余剰」を分配する「統治者」となり、より豊かになりました。

人間社会には「階層」が生まれ、自分では食物を生産せずに生きていく人たちが出てきました。それが、国家や聖職者をはじめとする支配者階級です。

初めは、生み出された穀物などの「余剰」を直接取引していましたが、規模が大きくなるにつれて、それも難しくなりました。貝殻などによる原始的な貨幣も存在したものの、重くて持ち運べない点では同じです。

誰がどのくらいの「余剰」を所有しているかを記録し、どのように分配するかを計算するために、「文字」が発達しました。

文字によって「余剰」を記録できるようになると、今度はその価値を保証してくれる「信用機関」が必要です。それが国家や聖職者であり、「誰々が誰々から〇〇を借りている」などの借用書のようなものも生まれました。

このように、農耕によって生まれた「余剰」をやりとりする仕組みとして「貨幣」が生まれ、それに「国家」が権威づけを行いました。取引相手は一ヶ所に集中していた方が便利ですから、「市場」も生まれました。そうしてできたのが、我々が生きる「市場社会」です。

世界初の金融センター、イタリア

中世ヨーロッパでは、香辛料や毛皮、奴隷などの貿易が盛んに行われ、市場経済が発達していきました。貿易が行われるにつれ、「両替商」たちが栄えるようになります。

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